担当と自担、わたしと翔さん
突然ですが、わたしは櫻井翔担です。
嵐を知ったきっかけは翔さんに出会えたことであり、嵐というすてきなグループを好きになれたことはわたしにとってすごくしあわせなことです。嵐に出会えたのは翔さんの存在があったからなので、翔さんはわたしにとって大切な人なんですね。もちろん翔さん自身も、いろんな方から愛されているとても魅力的な人です。「ハハハハハ!」って一音一音が分かるような笑い方をしたり、ほんとにおいしそうにご飯もぐもぐしてたり、誰かがくだらないことをしたときに「くだらねぇ……(笑)」って笑ったり。嵐については5人それぞれのことが大好きだし、グループとしての"嵐"も大好きだけど、やっぱり翔さんは特別なんです。だから翔担です。
そう。わたしは櫻井翔担なんです。なんですけど、翔さんは「自担」ではないんだよな……ってずっと思ってきました。ジャニオタの方たちって自分が一番応援しているアイドルのことを「自担」って表現することが多いですよね。ツイッター等でもよく見かける代名詞だと思います。
でも、わたしは翔さんのことを「自担」と呼べません。なんか違うなって。いや、自担なんだろうけど、「自担」って言葉で翔さんを表したくないというか表せないというか……わかる?(自問自答)
そんな疑問が自分のなかに生まれてから実に1ヶ月。答えにたどり着きました。(遅い)
わたしの答え:
「"わたし"は櫻井翔担です」ってのと「"櫻井翔"は自担/わたしの担当です」だと主語が違うからだきっと!!!!!
実に単純明快。なぁんだそんなことか。1ヶ月もかけるようなことじゃなかった。笑
「わたしは櫻井翔担です」っていうのは”わたし”が主語であることからわかるように“わたし”について説明した文章になっている。でも後者の「櫻井翔は自担です」だと、“櫻井翔”が主語なので翔さんの説明をした文章である。
・・・・・・「翔さんがわたしの自担」ってなんかおこがましい感じがするじゃない??(あくまでわたしの考え)
あの、これほんとにわたしとわたしの気持ちの問題なので、そこだけご了承くださいね。全然否定してるわけではないです。
ただ、翔さんはわたしのなかであまりに大きな存在なので。。
昔から、わたしみたいなヤツが貴方のファンのひとりでごめんね…みたいな気持ちがあることもひとつそう思ってしまう理由に挙げられると思うんですけど。
「翔さんがわたしの自担」だと、”わたし”のほうが上にいて、“翔さん”を保有しているような感じに聞こえてしまう気がするんですよね。ああ、なんて申し訳ない。
主語が変わるだけでだいぶ受ける印象変わってくるんだなぁって思いました。
そこで気づきました。これは先日発売されたTVガイドpersonを読んだ感想の一部。
NEWSな2人のスタンスについては、なるほどたしかになって思ったし、仕事を辞めていく人たちを見て思ったその気持ちは「分かるなぁ」って思った
— りころも (@storm5ars) 2016年5月11日
仕事うんぬんってところではなくて
— りころも (@storm5ars) 2016年5月11日
"否定するわけじゃなく、俺はそう思わないっていう意味で。"っていうのが、1番好きな部分だな〜
テレガイpersonでシゲアキさんは、
「やりたいことがあるからって仕事を辞める人たちを見た時、違うなと思ったんだよね。否定するわけじゃなく、俺はそう思わないっていう意味で。」
ってお話されてるんですけど。
たぶん、これと似た感覚なんだろうな〜って。
……伝わるかな!?←
「自担」と呼ぶのも分かるし全然いいと思うけど、わたしは違うかなって意味で。そういうことなので気を悪くされないでくださいね!!(必死)
だから、わたしのなかでは わたしが今後翔担であり続けたとしても、翔さんは自担にはならないんだろうな。うん。解決!!!
そんなことを考えるある晴れた日の昼下がりでした。おしまい!