愛を信じてる

痛みも悲しみも全てを受け入れて、 I am Happy!

吐き出したくて下書きの続きを書いた。(BLAST in Miyagiと震災とわたし)

昨日フラゲしてきた『ARASHI BLAST in Miyagi』。

ああ、もうなんか自分でもよく分からないけどとにかく涙が止まらなかった。

嵐出て来てすらいないOPの映像だけでもうすごく泣けた。

 

このDVDのなかに映っている嵐のひとりひとりの表情、しぐさ、歌声、言葉がなにもかも愛おしくて、儚くて、切ない。

 

2007年のTime魂以来、8年ぶりに開催された宮城でのコンサート。

私にとって、生で体感する人生初のコンサート。

とってもとっても、大事なコンサート。

 

なんでこんなに泣けるんだろう。参戦した時は泣かなかったのに。

って考えていたら、「もしかしたら私ってすごく自己中心的に見ていたのかもしれない」って思った。初めてのコンサートに浮足立って、なんかもう訳のわからないままあの空間に圧倒されていたような気がする。

私の席はスタンドで、しかも奥の方だったから、正直あまり近くに嵐を見ることはできなかったんだ。フライングでも私のいる方には飛んでこず、「月がきれいだよ」って潤くんに言われたけど天井があったから見えない位置で。っていう、なんかそういうことにちょっとだけ落胆していた自分がいたのは間違いないです。

それでもすごく楽しかった。すぐ目の前であの嵐が歌を歌っている。宮城という土地で笑顔で手を振っている。嘘みたい、夢みたい、って。

 

その夢みたいな現実は今となっては過去のもの。私の胸の中に大切に仕舞われたあの記憶が、DVDによってこう、またあふれ出てきたような。

あの時、ちょっと遠くて良く見えなかった部分も、DVDを通して見ることができた。逆に、DVDには映ってないけれど私の心に残っている部分もある。

なんかとっても不思議な感覚だった。

 

 

翔さんがさ、しっかり相手の顔を見てとても優しい表情で指をさしているんだよ。終始上の方を気にかけて、盛り上げてくれている。C&Rが終わると、煽りにのってくれた周囲のファンに大きくまるを作って見せるんだ。ああ、もう貴方が見せる表情一つ一つが愛おしくて、恋しくて、眩しくて。

 

このコンサートは、東日本大震災後初めての宮城でのコンサートだったから、嵐にとってもきっと強い思いがこめられたものだったんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

ここまで書いて、ずっと下書きに保存してました。書いたのは2015.12.28。2ヵ月以上経ってる。

 

なんでだろう、言葉にするとよく分かんなくなっちゃうんだよなぁ。BLAST in Miyagiがあまりに自分にとって大きかったのだと思う。言葉にすればするほど、違う、そうじゃない、だとしたらどの言葉に感情を託せばいいのだ…っていう、その繰り返し。

 

気付けば3月11日を迎えました。あの日から5年。奇しくも金曜日。

中学生だったわたしは、翌日に控えた先輩たちの卒業式の準備を学校で行っていました。

大きな揺れ。そもそも地元は地震の多いところだったから、当時は何も思ってなかった。

「うわ、めっちゃ揺れてる(笑)やばいやばい(笑)」

集団下校になって雪の中上靴で帰って。寒かったなぁ。

 

長々とわたしのことをお話しても何なのですが、わたしの住む地域はそこまで大きな被害は受けませんでした。数か月間、電気や水道、ガスなどのライフラインが止まった程度(ひみつの嵐ちゃんが見れない!と思ってとても悲しかった)。かなりの頻度で余震が起こり、「また~?」って思うことも多々。

でも、電気が復活してテレビをつけると、コンビナートで火災が発生して燃え上っていたり、遊びに行ったことのある町が濁流にのみ込まれていたり、なんとまあ悲惨な光景が流れている。

 

いま流れている映像は、いつ、どこで起きたやつ??

 

 


あの日から5年が経った。でも月日が流れていくにつれて複雑な気持ちになる。

たびたび東日本大震災の特集がテレビで組まれているけれど、やり場のない思いがわいてくる。

 

わたしの体験した東日本大震災とテレビで流れるそれの映像があまりにも違うから。

だけど、きっとすごく大変な思いをされているであろう方たちは誰も、震災をなんとか受け止め、復興に向かって前進しよう、自分のできることで町を支えようとしている。わたしが縁があって取材させていただいた方も、大好きな地元が津波で壊滅的な被害を受けてしまったけれど、「やるしかなかった」と言って復興に尽力されていた。

 

そして、一番つらいのは、わたしが大好きな翔さんが、被災地に何度も訪れて、話を聞いたり現状を目で見たり除染作業をしていたりすること。

この言い方だともしかしたら誤解されてしまうかもしれないけど。

 

大きくとらえれば「被災地」に住んでいるけど、普通に勉強して普通に遊んで普通に暮らしてきたわたしに対して、翔さんは震災直後から何度も被災地に足を運び、自らの目で見て、耳で聞いて、体で感じて、それを言葉にしてわたしたちに伝えてくれているの。

震災後すぐのオトノハでも、震災の時の翔さんのこととか思いとか綴ってくれていて。

きっと翔さんはわたしよりも「東日本大震災」というものを体感、実感してると思うんだ。こんな、比べても仕方ないってことはわかってるけど。分かってるけどそう思っちゃうんだ。

 

 

去年の秋、わたしは人生で初めてコンサートというものに行きました。「ARASHI BLAST in Miyagi」。初めてのコンサートを、しかも大好きな嵐のコンサートを、地元で見られるなんて思ってもいなかったからとっても嬉しかった。

とっても楽しいコンサートでした。

 

だけど、翔さんの挨拶がどうしても苦しくて。

「もう…もうあんな悲しい思いはしたくないから。」

たくさん取材していろんなことを見てきた翔さんが、あんなに切なくて哀しくて優しい声と表情でそう言うんだもん。大きな被害もなく普通に生活してきたわたしは、どんな顔で、どんな思いで、聞けばよかったかな。受け止められたかな。

 

 

いろいろ縁があって被災した方にお話を聞いたり、仮設住宅の中を見せていただいたり、被災地に足を運んだりもしたけど、すればするほど、わたしの知っている「東日本大震災」と、わたしの知らない、でも実際に起こった「東日本大震災」のギャップが大きくなるの。わたしが被災地に行けたのも本当に1年前くらいで、瓦礫も家も何もなくて更地だったから、さらに実感わかなかったけど。

 

このもやもや、早くなくなってくれればいい。将来の夢とか、就きたい仕事とかまだ全然分かんない。もやもやをなくすためには何をどうすればいいのかも分かんない。だけど、大学生になったら何かわたしも役に立てることができたらいいなって、漠然としているけれど最近はそんなことを考えています。

 

 

全ての人が安心して笑顔で暮らせる日が一刻も早く訪れることを祈っています。