愛を信じてる

痛みも悲しみも全てを受け入れて、 I am Happy!

初めて嵐のコンサートに行った日

お題「初めて○○のコンサートに行った日」

 

わたしが初めて嵐のコンサートに行った日。

すなわちわたしが人生で初めてコンサートに行った日。

2015年9月20日。

 

 

 

わたしは嵐が好きだ。好きになった経緯はとても分かりにくいしめんどくさいので詳細は割愛するけれど、たまたまテレビで「THE QUIZ SHOW」を見て、それからなんとなーく翔さんの出ている番組を見て、ふわっと「嵐」を知って、軽いノリで「ARASHI Anniversary Tour 5×10」を買って…とかやってたら、いつの間にかすごく好きになっていた。

 

わたしの地元は宮城だ。好きになったときには嵐は5大ドームツアーとか国立ライブとかやってて会場が遠かったし(遠征という概念もなかった)、わたし自身まだ中学生だったし、DVD見てるだけで十分楽しかったのでもはや「コンサートに行きたい」という気持ちすらなかった。死ぬまでに一回くらい行けたらいいな~、レベル。

ちょうど10周年を迎えた時期で、バラエティもドラマもたくさんあったから、それだけで十分楽しかったのかもしれないな

 

 

でも。2015年5月1日。

嵐が、2007年のTime魂以来8年ぶりに宮城県でコンサートをやるというではありませんか!!!

めちゃくちゃ受験生だったけど、嵐が宮城でコンサートすることなんてないと思ってたから、今回逃したら次いつ来てくれるか分からなかったから、知らせを受けて急いでファンクラブ入った。(ほんとは高校入学と同時に入るつもりだった)

 

 

 

 

まさかの当選。どきどきしながら当日がくるのを心待ちにしていた。

 

それまでわたしは赤*1が似合わないと思っていたけれど、「せっかく翔さんに会えるんだし…!」と思っていろいろ赤いものを買っていった。持ち物がどんどん赤に染まっていくのが楽しくてしかたなかった。ネイル、イヤリング、スマホカバー、ふでばこ……

先輩に「成績表まで赤く染めないでね(^O^)」と言われた(笑) 染めなかったけど。

 

 

 

迎えた当日。

 

すべてが初めてでとてもドキドキした。グッズ買うためにセキスイアリーナに行列作ったり、出店でかき氷とか食べたり*2、友人のうちわ作りを手伝ったり、聞こえてくる音漏れに心がざわめいたり。

会場入って、「うわぁ~!DVDでいつも見てる感じだ~!」って感動してた。

 

 

簡潔にいうと、楽しかった。席はスタンド後方でちょっとだけ遠かったけれど、"すぐそこ"で嵐が歌ってて、踊ってて、話してて。"宮城"という地で、嵐がコンサートしてる、ただそれだけで夢のような空間だった。

 

 

翔さんのラップを生で聴けた。

ずっとやりたかった、C&Rもたくさんできた。

夢だった、MC中に振りを即興で教えてもらって一緒に踊ることもできた。

MCで翔さんに質問*3されて、「はーーーい!」って答えるのもできた。

にのみやさんがトロッコに乗って近くに来て、大きく両手を振ってくれたのがもううれしくてうれしくて、わたしも一生懸命手を振った。

翔さんソロがHip Pop Boogie ChapterⅡだったんだけど、知らなかったから歌詞が違うことにびっくりしすぎてただただ聴いていた。

日が落ちていつの間にか夜になってた挨拶のあと、潤くんが「見て、月と星が綺麗だよ」って言ったけど、わたしの位置からだと天井が邪魔して見えない!ってなった。

 

 

 

とても楽しかった。

 

 

でも、コンサートの感想はそれだけではなくって。

 

 

ちょっとだけ、つらかった。

 

もともとこの"BLAST in Miyagi"は、東日本大震災の復興支援という意味合いも大きかった。

わたし自身、中学1年のときに被災したのだけれど、地盤の強い地域だったためそんなに被害はひどくなかった。

ちょっとライフライン止まったり、ちょっと余震を感じたりするくらいだった。そもそも地震の多い地域だったこともあって揺れには慣れてしまっていたので(それが危険)、全然深刻に受け止めていなかった。

しやがれで、嵐が黒いスーツを着て、まじめな顔して被災地へのメッセージを語り、♪果てない空 を歌ったとき。いつもの笑顔じゃない、かたい嵐さんだったのが寂しくて手紙を書いた。

「いつもの笑ってる嵐が好きです」

でも、時が経つにつれ、震災の被害の甚大さをテレビや新聞などで見ることが増え、わたしの体験と大きくかけ離れていることを知った。現実はもっと残酷で、冷酷で、恐ろしかった。

 

そんなことを知らずに、何事も無かったかのように楽しく日々を過ごしていたわたしと、わたしの知らない東日本大震災とのギャップに悩み始めたころだった。BLASTが開催されたのは。

 

 

挨拶で。

翔さんが、「もう…もうあんな悲しい思いしたくないから。」って言った。翔さんの声も表情も本当に切なくて、でもすごくやわらかくて、やさしくて。それを聞いて、胸がぎゅーって締め付けられた。

翔さんはZEROの取材とかで震災直後から被災地を訪れて取材してみんなの声を伝えていた。

傍から見れば「被災者」と言えるであろうわたしよりも、翔さんのほうがずっとずっとこの震災を自分の肌で感じていると思う。その翔さんが、あんなに優しい微笑みを湛えて、あんなに優しい声でそんなこと言うんだもん。

わたしはどんな思いでその言葉を受け止められただろう。

 

潤くんが、「みんな同じ空で繋がってる、僕らがいる、ファンのみんながいることを忘れないで辛いとき苦しいとき  生き抜いてほしいって、そういう思いでいたら同じ空の下に52000人と、みんなと過ごせてるのが本当に嬉しいです」って話してくれた。そう話す潤くんの表情がつらかった。同じ空の下にいる…って話していた震災直後の潤くんのラジオの声を思い出して苦しかった。

たぶん、嵐のほうがわたしよりもずっとずっと震災のこと考えてるし知ってるし、被災地のことを思ってくれてる。比べたって仕方ないのは分かってるけど、思わずにはいられなかった。

 

 

まだそのモヤモヤとか、わだかまりとかは消えてないけど、いろんなことを考えるきっかけになったと思う。

 

 

行ってよかった。行けてよかった。会えてよかった。踊ってる姿を見られてよかった。歌や話している声を聴けてよかった。宮城に来てくれてよかった。

 

わたしの初めてのコンサートは、わたしの地元で行われた、大好きな嵐のコンサートだった。それは、とても楽しくて あたたかくて  ちょっぴりチクチクしてしまう大切な記憶として、これからもわたしのなかにあり続けるんだと思う。

 

素敵な時間をありがとう。大切な思い出をありがとう。たくさん、ありがとう。

 

 

 

 

 

*1:翔さんのメンバーカラー

*2:「震災復興市」。被災地の人たちが出店をひらいて、牛タンとかアユとかヤマメとかいろんな食べ物を販売していた

*3:わたしが行った日は「嵐が来る(※嵐のコンサートはよく雨が降る)から念のため傘とか持ってきた人ー?」だった