読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

愛を信じてる

痛みも悲しみも全てを受け入れて、 I am Happy!

友達の定義

覚え書き

どこからが友達か、どこからが仲良しかって難しいところだと思う。

 

わたしの場合、「友達」と思うレベルは割と低くて、でも「親友」と思うレベルはかなり高いんだと思う。

 

小中学生のときは学年全員顔も名前もどんな人かも(だいたいは)知ってるからみんな友達だった。何かしらで知り合って会話をする機会が何度かあったらもう友達だと思ってる。

 

でも以前友人(仮にAとする)とおしゃべりしてたときに、違う考え方を知った。

その友人は、“2人だけで遊びに行けたら友達”という基準を持っているらしかった。

わたしには高校の同級生で特に仲のよい友人(Bとする)がいた。部活が同じだったのが大きいと思うけど、高3のときは同じクラスだったこともあり一緒に過ごす時間も長かった。でも、その子と2人で遊びに行ったことがあるのは高1の初夏1回のみだった。

友人Aは、わたしと友人Bの仲の良さは十分知っていたけれど、彼女が先述のとおりの考え方を持っているためにとても驚かれた。「一緒に遊ぶ機会全然ないのにそんなに仲いいってすごいね!?」と言われた。それに驚いた。

 

だから、最初に「小中学生のときの同級生はみんな友達」と書いたけど、向こうからは全くそんなこと思われていなかった可能性がめちゃくちゃ高い。まじか。笑

 

会ったときに気軽に話せたら友達認定してしまうわたしだけど、その交友関係は広く浅い。友達はたくさんいると思っているけど、一緒に遊びに出かけたり、家に泊まったり、学校で常に一緒にいたりするような友達はいない。さみしいって思わないでね(笑)別に不自由は感じていない。時々憧れるけど。

こないだのNEWSな2人じゃないけど、単独行動がそこまで苦じゃないからおひとりさまで行動してしまう。わたしが小さいときに母が「わたしは一匹狼なの。あなたも一匹狼よ」といわれ、ピュアッピュア(笑)だったわたしは「わたしって実は一匹狼なんだ」と完全に思い込んだのも理由としてあるかもしれない。

 

ただし親友は本当に少ない。2~3人だ。ふとしたときに会いたくなって、久々に会っても以前と変わらず楽で楽しい時間を過ごせる、大好きな存在だ。向こうがどう思ってるかは知らないけど。それについても中学のとき死ぬほど悩んだけど。笑 まぁその話はいいとして。

 

一方で友人Aは、いつも友達がいないと不安みたいだ。いわゆる“いつメン”みたいな人たちがいると、自分の居場所が明確に分かるからいいよね。ぼっちになることもないし、友達とだからこそ生まれる楽しみとか思い出もあると思う。彼女には中学のいつメン、高校のいつメン、大学のいつメンがいるみたいだしその関係はずっと続いているようだから、安心していられる場所がたくさんあるんだなって思った。構内ですれ違うたびに彼女は誰かと歩いている。ちなみにわたしはだいたい1人で歩いてる。

あと明確な友達いる人のSNSリア充っぷりがすごくていいなあと思う。そういうことするタイプの人間でも、そういうタイプが周りに集まるような人間でもないから、Twitter見ては「海いったんだ、いいなぁ」「お泊まりしてるんだ、楽しそうだなぁ」「誕生日お祝いされてる、すてきだなぁ」と羨望のまなざしを向けている。さみしいかよww(ちょっとさみしい)

 

わたしのようなタイプにも友人Aみたいなタイプにも、それぞれ長所と短所はあって、絶対にどっちの方がいいとか悪いとかは言えないのだけど。

 

でも、友達の定義ってほんとに人それぞれなんだなぁということを強く思った。

 

不仲説とかも、そういうことなんだと思うんだ。前記事のレッテルの内容とも被るけど。

 

「仲がいい人は一緒にご飯行くでしょ」とか「家行ったことあるでしょ」とか、自分の「仲良し」のものさしではかってしまう。で、それとずれがある人たちを見ると「不仲なんじゃないの?」という疑いを立てる。その人たちの関係性をちゃんと見ようともしないで。

 

 

あ、でもこれ夜会を批判しているわけでは決してないのでそこはご理解いただきたい。夜会の「櫻井・タッキー不仲説解消のその後」を見た後に書いてるし、それに影響されて考えたことには違いないんだけど。

こういう取り上げ方をしたからこそ“サシ飲み”を通してなかなか伝えられなかった思いを伝えたり、話を聞いたりできたんだと思うし。それにタッキーと翔さんについては、「不仲説なんて言わないで><不仲なんかじゃないもん><」っても言えないと感じるし。

“仲が悪かった”とは思わないけれど“仲がよかった”とも言えない。2人にはお互いに対してそれぞれの思いを抱えていたわけで、その距離感はわたしには簡単に言葉にできない。テレビだからこそ、バラエティーだからこそ、夜会だからこそ打ち出せる切り口だ。翔くんとサシ飲みした人にとって「楽しかった」「話せてよかった」と思える機会を作ってくれて、ありがとう夜会。

 

 

とにかく。

 

嵐には嵐の、NEWSにはNEWSの、せくぞちゃんにはせくぞちゃんの「仲の良さ」の形であったり距離感がある。わたしにはわたしの、友人Aには友人Aの、あなたにはあなたの形や距離感がある。

 

そのことを覚えておきたいなあって思った。柔軟で、寛容な人にわたしはなりたい!!

 

 

 

おもしろくない話ばっかでごめんなさい!!ただの覚え書き!!翔さんの誕生日にはできるだけハッピーな記事を書けたらいいなって思ってます!!おやすみ!!!

逃げ恥と星野源から考えたこと

最近源さんを好きになった。きっかけは逃げ恥だった。繊細な表情の変化を見せるひらまささんが好きで、だんだん“それを演じる星野源”という存在に興味を惹かれるようになった。

 

彼を知っていく中で「源さんって、“正しい”人だな」と思った。

 

“正しい”とは何かと問われると困るが、そう感じた。

 

友人に借りた源さんのエッセイ『そして生活は続く』も、とてもおもしろくくだらなく、笑いながら読んでいたが、「確かにそうだな」と思わされる場面がそれは多くあった。ラジオ音源聴いていてもそうだった。

 

源さんのことを知っていくと、妙な親近感を覚えた。エッセイ冒頭の「生活が苦手」とか、わかりみがすぎる。というか、これ読んで「あ、わたしって生活が苦手なんだ!」と気付いた。他にもいろんなところで、「分かるかも!わたしもそう!」という部分があった。しかしさらに知っていくと、わたしと全然違うと感じるようにもなった。わたしは生活が苦手だし多少の自己嫌悪に陥ることもあるけれど、そんなわたしもわたしだよね☆とか都合よく捉えてなかなか改善できていない。一方で、源さんはダメなことはダメ、としてちゃんと改善している。この差は大きい。とても似ているけれど全く似ていない・・・そんな存在だと思ったからこそ、より強く惹かれたのだと思う。

 

先月29日、翔さん司会のベストアーティストが放送された。これには源さんも出演予定で、翔さんとの絡みも含めて源さんのパフォーマンスもすごく楽しみにしていた。

ところが当日、「過労のため出演辞退」という公式Twitterからの報告を目にした。大丈夫だろうか・・・楽しみにしていたので残念だったけれど、仕方がない。深刻でなければいいのだけど。ちゃんと休んで体調整えてほしいな。*1

 

そういえば前日は月曜日だった。源さんは月曜の25:00から、深夜にラジオを生放送している。それにはちゃんと出ていた様子。なにか兆候はなかったのかなとか、何を話したのかなとか、気になって探してみた。

 

 

この日の源さんも、やはり“正し”かった。

 

逃げ恥7話の感想メールを紹介し、それに関して思ったことを源さんが述べていたのだけど、全くその通りだと思った。

以下はその部分を文字起こしして、感嘆詞を一部削るなどしたもの。

星野源ANN 2016.11.28(一部)

 

正論&正論&正論。この出来事*2を俯瞰して捉えているなと思った。

この正論になぜ素直に頷けるのか。それは源さんが自分の考えを押し付けてこないからだ。100人いれば100通りの考え方があって、たぶんどれも否定しえない。わたしは源さんの考えを「正しい」と感じるけど、ラジオにメールを送った人たちのような考えを持つ人も、それを正しいと思う人もいるわけで。多様な考えを持つ多くの人が聴いているラジオで、それこそセンシティブなテーマについて話すときに「おもしろいと感じたこと」というスタンスで話をしている。「その考えは間違いだ、俺はこう思っていてこれが正しいのだ」なんて、否定したり押し付けたりしてこない。でも源さんの考えはちゃんと伝えてくれる。だから「確かに……なるほどな」と思えるのだ。

 

というか、源さんのラジオ聞いて、「あ…このドラマの登場人物って苦しんでるんだ。ひらまささんもみくりさんも、苦しんでるんだ」って気付いた。びっくりした。一応分かっていたつもりだったと思うんだけど、分かってなかった。だってこれはドラマだし、現実には存在しない人たちだし、あくまでエンターテインメントだ。第三者として登場人物の表情だの発言だの行動だのにあーだこーだ言って、ふたりの恋のゆくえにドキドキするというこの時間を楽しんでいる。一種の消費だ。

 

だけどこれが自分だったら。身の回りの出来事だったら。

 

苦しい。とても苦しい。性別とか、仕事とか性格とか周りの人とか、いろんなことに縛られてうまく思いを伝えられなくて。相手が自分に対して何を思ってるか分からなくて。ドラマじゃないから相手の考えてることも自分と離れているときの行動も知らなくて。え、やばいめっちゃ苦しい。

 

「平匡なり、みくりなりが、ずっと苦しんできた、“男に生まれたから”っていうレッテル、“女に生まれたから”っていうレッテル」

「出演者が苦しんでいる理由は、見ている人たちの 怒った人たちの心のなかにある」

って、それ聞いた瞬間めっちゃ心が重くなった。別にひらまささんに怒ってたわけじゃないし、むしろ「みくりさんちょっとそれは…!?」って思ってたんだけど。みくりさんもみくりさんで人から受け入れられたい、ここにいていいんだよって認めてもらいたいという気持ちがあったわけで。あの言葉だってきっと好きだからこそで、軽々しく言ったわけではなくて、ちょっとくらい勇気も必要だったはずだし。

 

「男らしさ」「女らしさ」って言葉、最近はあまり使われなくなってきているのかなと思う*3。それはまさに"ジェンダー"の視点だ。性別によって区別するのではなく、もっと個人を見るべきじゃないか。"その性別らしさ"を求めるのではなく、"その人らしさ"を求めるべきではないか。

わたしは「らしさ」という言葉が心底嫌いだ。らしさってなんだよ。高校のときに部活動で再三言われてきた。わたしは放送部に所属していたのだけど、必ず言われるのが「高校生らしさ」だった。高校生らしさって何??高校生が思うこと、高校生が作るものならそれが「=高校生らしさ」じゃないの???大人はわたしたちに何を求めているんだ!!高校生らしさとはなんだ!!!ってワーワー言いながら番組作ったりアナウンスしたりしていた。大会に向けて活動するときは、いつだって「大人が考える高校生らしさ」というものに悩まされていた記憶がある。

それから「自分らしさ」。自分らしさって、誰が決めるのだろう。友達から「○○っぽくない!」だとか「○○ってこうだよね」とか言われても、自分ではそう思わないこともある。でも自分の思う自分らしさもよく分からない。人の思う“わたしらしさ”と自分の思う“わたしらしさ”の違いというか、「自分らしさって誰が決めるの!?!?」みたいなことをずっと思ってきたように思う。

 

もしかしたら“その人らしさ”ということすら、レッテルになりうるのではないか。「この人ってこうだよね」と決めつけて、そのイメージから外れたことをすると「えーらしくない〜〜!」なんてつい否定じみたことを言ってしまう。「この方があなたらしいよ」なんて、分かったようなことを言ってしまう。

 

これらのことを思ってしまうのって、しかたないことだ。性別についてもこの人は男、女っていうのは事実なわけで(だからこそ身体的な性と自認している性のギャップに悩んでいる人もいるのだと思うけど)、誰かに言われる“○○らしさ”だって、その人から見る“○○”の価値観なり経験なりに基づいているわけで。わたしはそれは正しいと思う。そういうものだと思う。

ただ、それをその人の全てだと断定してしまうことが問題なのかなと思う。「レッテルを貼る」という行為をして、そのレッテルにこだわって、「こうなんだからこうあるべき」と自分や他人を縛り付けてしまう。それってとっても窮屈だ。

 

 

 もっと気楽に、柔軟に考えたい。

例えば、

 

幼なじみの女の子で、昔一人称を「ぼく」にしていた子がいた。それを、「あなたは女の子なんだからその一人称はおかしい!」と怒るのではなく、「ぼく」がいいと感じたその子のセンスを認める、みたいな。

「自分だったら"ぼく"って使わないや」「ちょっと変なの」って、思ってもいい。ただそれは自分のなかでの、自分のセンスであり、それが相手にとってもイコールでないかもしれないことを理解することが大切だと思う。

 

 

自分の考えも大切にしつつ、他人の考え方に思いを致すくらいの余裕を持つ。

 

みんながそういう風に考えられるようになったら、世界が平和になるんじゃないかなあ…。

ラブ&ピース。いえあ。

 

*1:12/3に、公式Twitterと逃げ恥のTwitterから源さんが無事復活したことと元気そうな様子、そして源サンタのプレゼントのお話を知ることができた。よかった。忙しいと思うけど、応援しています

*2:ドラマで描かれていることとラストシーンに対する反響やメールなど

*3:まだ「男/女らしさ」という考え方は根付いたままのようにも感じられるけど

本を買うことと読むこと

ある晴れた昼下がり、わたしは本を買った。

 

わたしが通う大学の敷地内には小さな本屋さんがあり、学生証を提示すればいくらか安く購入することができる。

そこには参考書や新書のみならず、小説やライトノベル、雑誌にマンガとあらゆるジャンルの本が並んでいて、時間ができるとついその本に囲まれた狭い空間を求めて足を運んでしまう。

 

 

その日も同じだった。

 

特に欲しい本があったわけではないが、次の授業まで時間が空いていたので何気なくその本屋さんに入った。

 

 

出てきたときには、3冊の本が入った袋を持っている自分がいた。

 

 

 

わたしは本が好きだ。

 

いや、正確にいうと、本を「買う」ことが好きなのだ。

本屋さんという 様々な物語が秘められた空間のなかで、目についた本をぱらぱらと捲ってみる。取り揃えが豊富なおかげか、気付かないうちに長居してしまうせいか、そうしていれば必ず1冊は心を惹かれる本に出会える。表紙か、タイトルか、たまたま開いたページから聴こえる波の音か、わたしが何に心を惹かれているのかはわたし自身分からない。けれど、「この本を読んでみたい!」と思う気持ちが胸の奥で鳴り響く。

その感覚が好きなのだ。

 

 

しかし実際に買ってきても、わたしはその本たちを一向に読み始めようとしない。

本を読むことが苦手なのである。

 

なんという矛盾だろう。本を買うのは好きなのに、本を読むのは苦手。買って、それを自分のものにしたことに満足してしまうというのだ。しかし、そもそも本は、読むために買うのではなかろうか。読まない本を買うというのは、ただのお金の無駄遣いではないだろうか。

実際、3冊を新たに手に入れたわたしの家には、いまだ読み切っていない本が11冊もある(頂いたものを含む)。本を読み切れていないのに次の本を購入してしまうというのは、経済面から見ても反省すべきことではあるが、しかしわたしにとってそう簡単にやめられることでもないのだ。

 

振り返ってみれば、元々わたしは本を読むことが好きな子供であった。実家にあった1人がけのソファに腰掛け、家族が寝静まる深夜11時に、1人で分厚い本を何日もかけて読み進めるのが大好きだった。

 当時小学生だったわたしが読んだのは専らファンタジー小説だったが、日常生活では経験できないことを物語の中で“疑似体験”できたということもあり、いま振り返っても大切な時間である。

 

 

しかし、年を重ねるにつれて本を読む機会が少なくなってきた。

 

小6で、周りに遅れをとりつつもDSを買ってもらい、初めて「ゲーム」というものに触れた。

「嵐」を好きになり、テレビを見る時間が急激に増えた。

加えてウォークマンを買ってもらい、音楽を聴くことに時間を割くようになった。

中学にあがり、部活動や生徒会活動などで以前よりも時間がなくなった。

高校合格が決まり、それまでウェブ閲覧の規制により電話とメールしかすることのできなかったガラケーからスマートフォンに買い換え、いつでもネットをすることが可能になった。

TwitterやLINEを始め、そのおもしろさにハマりSNSに依存するようになった。

高校に進学し、以前より部活に掛ける時間が長くなった。

 

 

 そういうことを言い訳に、本と距離を置いた。

本というアナログなものの楽しさを忘れ、新しいデジタルなものの楽しさに陶酔しきっていた。

 

デジタルなものは、時間をかけずに楽しむことができる。好きなときに好きなことだけを手軽にできる。動画の見たい部分だけを再生し、興味の無いところは飛ばしてしまうこともできる。映像ならば、次々に情報が入ってくる(それが頭に留まるかはまた別の話である)ので、自分で考えることをしなくなる。もちろん映像を見て、そこから派生させていろいろと考える人もいると思う。しかしわたしは、視覚情報と音声情報だけで満足してしまうようになった。

何も考えずにただ情報を受け取ることに慣れてしまったのだ。本を読むというのは映像を見るよりも時間がかかる行為である。文字を読み、登場人物の心情や状況を理解し、そこから映像なり写真なりを思い浮かべて物語を読み進める。もちろん全ページ読まなければ、理解しきれないことも多いであろう。

そもそも、「文字」は人間が文明を築くなかで情報を未来に残すために発明したものであり、文字の読解能力も後天的に獲得したものである。「読字障害」の存在も、それを証明するひとつであると言えよう。つまり、文字を処理する作業は人間にとって負担が大きいのだ。

 

 

だから負担の少ないデジタルに逃げた。

つくづく人間は省エネを求める生き物である。

 

 

しかしわたしは、その心の奥に「本を読む」ことの楽しさ、「本を読む」ことで生まれた感情をちゃんとしまっていた。

だからこそ、本屋さんという空間が好きなのであり、つい本に手を伸ばしてしまうのであり、「これだ!」と思ったものは買ってしまうのである。

 

スマホもパソコンもゲーム機もなく、せいぜい夕飯のときにNHK教育テレビを見るくらいであったあの頃にはもう戻ることはできない。

けれど、少しその割合を減らして、また「本を読む」という"こころの小旅行"に出掛けたいと思う。

 

 

 

 

 

という、何となく思ったことの覚え書きでした。

 

めでたしめでたしべベンベン。

To my homiesの深読み押韻解説

櫻井翔

嵐さん17周年おめでとう!18年目おめでとう!VS嵐ゴールデン300回おめでとう!VS嵐377回おめでとう!おめでとー!!!(※書き始めた日:11/3)

 

 

ところでTo my homiesなんですけど(突然の話題変更)、めっちゃ好きここが好き!っていうのは先日深夜にタグお借りして垂れ流したからご覧になった方はご存じかと思いますが。

櫻井翔が書く「嵐」っていうんだからそりゃ好きじゃないわけないよね!!!!!前もどこかで言った気がするけど嵐が見る嵐、嵐が表現する嵐好き!!!!!(全幅の信頼を寄せている顔)

 

ということで、今回は押韻についてわたしなりに思ったことをまとめてみたいと思います😉☆

タイトルにもちょこっとありますが、わたしのわたしによるわたしのための“完全自己満深読み押韻解説もどき”なので、もし読んでくださる方がいれば「こいつはこう思ったんだ~」くらいに思っていただけると有り難き幸せm(_ _)m

 

 

 

◎智くんパート:a

          anai
一歩外出たならこの sunshine
      anai
眩い陽が僕を案内
  au    ioa    au   ioa
行き交う人や 華やぐ広場
 o-a  oa         aaaa        anai
どんな今日か未だまだ分かんない
aa                         oiae
肩の横を過ぎゆく恋風
    oiae                  oiae(u)
空を見上げ ふと問いかける(yeah)
                                oiae(u)
僕らならば歴史の story が tell
                                 oiae(u)
あいつらの下へいま追い掛ける

 

・anai

sunshine、案内、分かんない

一応"anai"だけど実際の発音の感じは"a"にアクセントを置いている。「シャイン」「い」「わい」。

・(au)ioa

(行き交う)人や、(華やぐ)広場

意識してるのか偶然かは分からないけど、"ioa"前の「交う」「やぐ」も"au"で一緒!

「い」「お」「あ」って発音するときの口の形が全然違うんですよ*1。同じような音だけだとどうしても単調になりやすいけど、要所要所でこういうの入れてくれると飽きない。あと、最後の音が"a"であることによって明るさを表現できる。以前いきものがかりがインタビュー受けているのを見たことがあって、作詞するときに気を付けていることとして「サビの一音目はア段にする。そうすると口を大きく開けることになり、明るい印象を与えられる」みたいなことをお話していた。それ思い出した。

・oa

人や、広場、どんな、今日か

「人や」と「広場」は"ioa"として出したけれど、この"oa"はそのあとにも繋がっている。

「人や」「広場」では1拍使っていて、そしてこの2つの言葉の間に1つ単語を挟むことでゆったりとした韻の踏み方になっているけれど、「どんな」「今日か」は連続していて韻の踏み方が細かい。ここで新たなリズムを作っている。だからその後の「未だまだ分かんない」で言葉をきゅっと詰めても違和感がなく、むしろ心地よく感じられる。

・aa

未だまだ、肩

ここも意識していたのか偶然なのか分からないけれど、聴いている側の心地よさを生み出しているような気がする(主観・オブ・主観)。

 

3拍 sunshine 3.5拍 案内

1拍 人や 1拍 広場

どんな 今日か 未だまだ 分かんない

肩の横を~

 さっきの繰り返しになるけれど、だんだん韻を踏む間隔が短くなっていき、テンポを作り出す。

このだんだん間隔が短くなっていくときに、一回 "ioa / oa" と違う音を入れながら"anai"に戻す、その直前に持ってきたのが「未だまだ」。「分かんない」は"anai"だけど、アクセントは"a"です。「か」と「な」。急にこの押韻に戻るのではなく、アクセントになっている"a"の音を使って助走を作っているというか。跳び箱の前のジャンプ台みたいな役割をしてくれていると思う。だから前2つの"anai"と「分かんない」が離れていても違和感がない。

もっというと「いだ   わい」で、"-a-a-"っていうリズムでわたしたちは聴いている。

で、「肩」は、ここまで作ってきたテンポ感と"a"という音の流れをこの2文字に繋げることで、押韻の間隔がまた長くなり、"oiae"という違う音に移るのも自然な流れとして受け入れられる。

・oiae(u)

恋風、を見上げ ふと、問いかける、storyがtell、追い掛ける

いやまじでここで「恋風」ってワード持ってくる翔さんなんなのほんと好き。晴れた青空の下………肩の横を過ぎゆく恋風………身に染みる………

押韻としては"oiae"で踏んでいると思います。でも、「を見上げ ふと」の「ふ」が最初に「(u)」で表記した音になっている。「恋風」については、"e"で終わるじゃないですか。次に来る音は「空」の"o"。口の形としては、「あ」側よりも「う」側を通ほうが自然だし動かしやすい。から自然に"u"に近い雰囲気に、なる。図参照*2

f:id:collars:20161106083658j:image 

え??強引??まぁ確かにその感は否めない。じゃあこれはどうだ!「そ」って発音するとき、若干「う」の形をしません??サ行は摩擦音で、舌先が上の歯茎の近くにくるので、「お」の口の形をしようとしても子音が「s」であるために「う」っぽい口の形になるんです。この一瞬・・・!笑

わたしの深読みだけど、偶然の産物かもしれないけれど、でも仮に次に来る音が違うものだったらいまよりも押韻の印象が薄れてしまうんじゃないかなぁ。そんなことないかなぁ。

 

これは押韻関係ない話ですが。「あいつら」って誰を指してるのかな?って思って考えてたんだけど、わたしの中での結論は「未来の嵐」ってことで落ち着きました。たぶんいろんな解釈あると思うしほんとのことは翔さんしか分からないけど。嵐が追い掛けてるのは、ほかの誰でもなく"自分たち自身"なんじゃないかな…なんて。そうであってほしいな、なんて。「あいつら」というちょっとラフな言葉遣いなのも、そういうことなのかな、って。

 

あとちょっと戻るけど「どんな今日か未だまだ分かんない」って歌詞、わたしが翔さんの入所21周年記念!って書いた記事↓

collars32.hatenablog.com

 

今は嵐結成17周年。このインタビューの時期から5年が経っているけれど、その時間の中でもまた「嵐」は形を変えながら活動してきた。「12年経ってできたこの形が嵐ですとはまだ言えない」って言っていた人だからたぶん17年経っていても「まだそう言うには早い」って言うに決まっている。だって彼には、彼らにはまだその先があるから。

 っていうの思い出して「やっぱりな~~~!!」ってなった。解釈違いだったらごめんね翔さん。

 

 

◎にのちゃんパート:o, a


                                            oui
こちらはゆったりしてるよ homie
                          oui
そう流れる雲のように(yeah)
                                    oui
早く逢ってまたいつも通り
                  o-i       oui
ここからは遠い もう行くよ
                      ouaa
何を話そう そうだな…
o-aa                             ouaa
ノーカラットなものの豪華さ
                      ouaa
あの頃のまま今日はさ

Hey!(hey!) Ho!(ho!)
Let's sing with us!

 

・oui

homie、ように、通り、遠い(ooi)、もう行くよ

「遠い」は"ooi"だけど、"o"と"u"は発音するときの口の形が近いから自然に聞こえる。

f:id:collars:20161106084417j:image

ここのにのちゃんの「もう行くよ?」が優しくって甘くってほんと好き・・・!

・ouaa

そうだな、ノーカラット、豪華さ、今日はさ

ここでの"u"はほとんど「ー(長音)」に近い発音になってる。ちなみにその前の"oui"は、最初の「homie」「ように」は割と"u"の音がはっきりしていて、後半の3つはそこまではっきりせず長音に近い発音という印象だった。

この4つの言葉に連続して長音があることで、その後の「へーイ ホー」に自然につながるのかな、とか思ってみたりしちゃったり。

 

このパートは押韻の種類が比較的少なくて、そこまで間隔も短くなく、ゆったりとしたリズムが少し過去を回想しているような歌詞にもよく合っている印象。

 

ここでのhomieは誰を指しているのだろう。嵐のことを書いているのだから、5人の歌なのだから、嵐か、少なくともジャニーズの仲間かなとは思うんだけど。

「ここからは遠い  もう行くよ」って、彼らの目指す場所はいつまでもどこまでも遥か向こうなんだなぁ……。デビュー当初に掲げた目標、"世界中に嵐を巻き起こす"だもんね。

 

 

◎相葉さんパート:a


    ao(u)            auo(u)
なんでだろう まったくもう
ao                             auo
顔見たくなる 時間経つと
                                    auou
いつか共に分かち合った苦労
           anau   anauo
寄り道感覚 散策路(yeah yeah)
eai   ea      i              eai      eai
狭い部屋 いつかはデカい世界
                      eaiea
羽ばたく日を描いては
                          ea    ae
語りあかし続けてた one day
    ae                         ae
未完成の日々がいま大切

 

・ao(u)

だろう、まったくもう、顔、経つと、た苦労

だろう」「まっう」「かお」「」「う」で踏まれている。

"ao"が連続している訳ではないけど、「まったもう」と「経と」の"u"は弱い音で発音されている。弱いけど、それがあることで「分かち合った苦労」の苦労の"u"がはっきり発音されても違和感がない。そして次に繋がる。

uo(u)

まったくもう、経つと、苦労、散策路

さっきとだいたい被ってるけど分けます。これは言葉の最後の音で揃えられている。

「え、『経つと』と『散策路』は最後にuないじゃん!」と思われるかもしれませんけど、あるんですね、ええ。もちろん単語のなかにはないですけれども。

「経つと」の次に来る言葉は「いつか」。「散策路」の次に来る言葉は「yeah」。

どちらも、"i"の音(もしくはそれに近い音)になる。「お」の音から「い」の音に移るとき、口は一度「う」の形を通ります。図参照。

f:id:collars:20161106090915j:image

そのため最初に挙げている4つの単語が、実質"uou"という押韻になるわけであります!

・anau

感覚、散策路

はい散策路2度目の登場。さっきもそうだったけど、1つの言葉を同時に2種類の押韻に使っているところ。改めて見てみて、すごいなぁ。

eai

狭い、部屋 いつか、デカい、世界、描いては

確実に意識しているのは「狭い」「デカい」「世界」「描い」だと思う。でもよくよく見てみると「部屋 いつか」も単語をまたいで"eai"になっている。

「描いては」はさっきみたいに次の音とのつながりで完成するわけではないけど、「描い(eai)ては(ea)(1拍休符)」で最初の2音はそのまま利用していることで、最後のこの1拍の間がなんとなく"eai"の押韻の感じを作っている。気がする。

・ea

(描い)ては、(続け)てた

さっきまでの流れを利用している。この前とこの後のクッション的役割だとわたしは思っている。

・ae

one day、未完成、大切

イ」「みい」「つ」。この記事でもすでに何回か出しているけれど、完全に韻を踏んでいるのではなく、それぞれの言葉のアクセントになる音で踏んでいる感じ。直前の"ea"と音が反転しているところが聴いているときにハッ!ってなる。さりげない刺激。みんな気付いてないかもしれないけど実はなってるからね(断定)

 

このパートはさぁ・・・エモーショナル・・・

わたしはいつのことを言っているだろうっていうの、自信もって言えないし分からないけど。なんとなくハワイでの会話思い出す。*3あとスケッチの「寝ずとも朝まで語り 嵐ってもんがやっと分かり」。もしこの歌詞がそのときのことを表しているのなら、毎晩「嵐」ってなんなのか、どうしていくべきなのかを語り合ったあの日々が、今でも大切な時間として彼らのなかに強く残っているんだろう。ってことを改めて感じられてグッときちゃう。だとすると「狭い部屋」は語り合ったホテルの一室・・・!!(ほぼ確では)

あと「なんでだろうまったくもう 顔見たくなる時間経つと」って、もしかしたら肺気胸で入院してたときのことなのでは…?何人かの方がこの相葉さんパートについて「2002年」というワードを出して話していたのをお見かけしていたのだけど、もしかしてそのこと??もあるのかな…??って更なる深読み。(2016.11.18追記)

あと韻を踏む間隔天才。

 

 

◎潤くんパート:i, o


  i-ou   iuo         i-o(u)
車で疾走 いつもの道を
                         iuo       iuo
感じながらいま行くよ(行くよ)
              iuo          iuo          iuo
カーステ聴くと いつもの昼も
       iou    iuoui             iuoui
蘇る記憶 keep going (keep going)
                                 ooi
樹々の青葉色付いた頃に
                   ooi
はしゃぐ声どこに
                                    ooi
時間てのは経てば経つほどに
iooi     iooi     (aaai)      iooi
日毎に見事に輝き増す彩り

 

・i-o

疾走、いつも、道を、行くよ、聴くと、昼も、記憶、keep going

これも1音目と3音目で韻を踏んでいる感じを出している。「記憶」だけ最初の2音だけど。前半部分はほぼこの形で押韻がなされている。

・iuo

いつも、行くよ、聴くと、昼も、keep going

直前のとだいたい同じっていうかいくつかなくなっただけ(笑)

こっちはきれいに揃って韻が踏まれている。

・iou

記憶、keep going

まさかの「keep going」三連チャン。これは、"u"の音である「p」はそこまで強く発音されているわけではないので、「ープ ゴゥイング」の下線部を"iou"と見なしました。

・ooi

頃に、どこに、ほどに、日毎に、見事に、彩り

後半はこの押韻でまとまっている。最初は韻を踏む間隔がゆっくりしているので、はしゃぐ声を懐かしみながらもそっと探しているような、暖かさのある哀愁っていうのかな・・・表現難しいけど、そういう雰囲気が出ているなと思う。それに潤くんの歌い方が合わさって、さらに心に優しい風が吹く。

 ・iooi

日毎に、見事に、彩り

最後の部分。細かく韻を踏んでいる。"iooi"ではないけれど、「輝き」も4文字で最後の音が"i"だし、真ん中の2音が同じ音だから感覚としては近く聞こえる。だから4拍すべてで韻を踏んでいるような印象で、きれいにまとまっているのだと思う。

 

きれいと言えばこの字面ですよね。「日毎に見事に輝き増す彩り」。美しい。

Step and Goの「包み込む日々が輝き出すのは 時間がそれを彩り光るから」とか、いつまでもの「二人とも持つ街の記憶 溢れ出る様波の如く 山を彩る秋の如く 現在も光って 未だ光ってしまって・・・」とか思い出した。翔さんの、時間が輝き光るんだっていう歌詞わたしほんと好きなんだ。

そしてわたしはこの歌詞にオトノハ感を感じた。

“今となってはもう過去”となってしまった、“あの頃”の時間に触れる機会があって、久しぶりにその時間を見つめたことでそれが輝き出す。しばらくの間懐かしさに浸ったら、それをエネルギーにして翔さんはまた“今日”を歩き出すんだ。あ~~~~~~~~~~好き。胸がきゅっとなる。

 

 

◎翔さんパート:o


  ooo   oo          oo
部屋の外 そよぐ風音
oooo                     ooo
そろそろ動き出すところ
                                ooo
くだらない日々輝く頃の
            ooo    ooo o
眩しき子ども心よ
ooo      ooo
友よ (友よ)
oo                     ooo        ooo
思い出の日々へ戻ろう 踊ろう
                  ooo     ooo
刻み込んだ音を 今日も

Hey!(hey!) Ho!(ho!)

Let's sing with us!

 

・o

の外、そよぐ、音、そろそろ、ところ、頃の、子ども、心よ、友よ、思い出、戻ろう、踊ろう、音を、今日も

まさかのオール"o"。まじか。いやまじかすごいな。まあこれは"o"のやつ全部拾って挙げたので翔さんも全部意識していたかは分からないけど。

 

"oo":2音

そよぐ、音、そろそろ、思い出

"ooo":3音

の外、ところ、頃の、子ども、心、戻ろう、踊ろう、音を、今日も

 って分けられるかな。全部同じ音で踏んでいるからその間隔も短めになっている印象がある。えっもう言えることない。すごい。なので感想をば。

 

 

まだ動き出してなかったんか~~~~~~い!!!!!!!!

デビュー18年目だよ!?まぁアルバムがドロップされたときはまだCDデビュー日迎えていないけど。18年目に入るタイミングで「そろそろ動き出すところ(あくび)」って。潤くんに言わせれば「2016年、翔くんが書く今の嵐ってこういうことなんじゃないかな」。翔さんが「嵐」を俯瞰して見た結果出てきた言葉がこれって、もう好きと信頼が溢れ出ちゃうよぅ。

嵐、準備運動始めました。

 

あとわたし、翔さんが例えば嵐の人たちがふざけているのを見て「くだらねえwww」って笑ってるの見るのすごい好きなんだけど。「くだらない日々輝く頃の」、ってまた時間輝いてるね翔さん・・・(cf.潤くんパート)

もしかしたら、なんでもないようなくだらないことにこそ価値があるというか・・・こう、大切な時間として残り続けるのかもな。そしてそういう時間を、翔さんは大切にする人なんだろうな。子ども心、大切。

 

そして

去年の11月に、VS嵐にゲスト出演してくれたご縁でV6兄さんの20周年コンサートにバックダンサーとして出演して。結果的にはその打ち上げみたいになったのかな、同じ時期をJr.として共に過ごした人たちとお酒を飲み交わし、さらにカラオケで懐かしい歌を歌って踊って撮影して。

なんかそういう、“あの頃”を思い出すような機会が最近は特に多かったんじゃないかな?って勝手に思ってる。これまでだってもちろんあっただろうけど。

 

オトノハVol.137「郷愁」(2015.4.15)では、Sexy Zoneのライブを見に行った時の話をしてくれている。その中で、外周で踊る小さなJr.の子をみて過去の自分と重ねたり、Jr.時代やデビュー後数年間 仲間と過ごした横アリの楽屋を懐かしんだりしたことが記されている。その1年後には嵐も再び横アリでコンサートをすることになるなんて、少なくともわたしは思っていなかったので改めて見ると感慨深いなぁ。

夏にはTHE MUSIC DAYもあった。大人数のジャニーズメンバーが一堂に会する貴重な機会。2015年はシャッフルでV6兄さんの ♪MADE IN JAPAN を歌った。今年はカミセンの ♪夏のかけら でしたね。って公式サイトを見返していたらそこにマリちゃんの名前並んでてまじか。健人くんはジェロマだし勝利くんはにのちゃんと一緒に ♪太陽がいっぱい だしまじか。明日にでも早急に見返したい(※当時まだSexy Zoneに興味もっていなかった)

去年のアルバム・ツアー「Japonism」では、“日本”とともに“ジャニーズのエンターテインメント”を見つめ直すことをしていたし、「“ジャニーズ年齢の物心が付いた頃”から聞き続け、時に踊」っていた楽曲である、大先輩・少年隊さんの“日本よいとこ摩訶不思議”もカバーした。

1年前にはV6兄さんのコンサートに参加して、仲間たちと楽しい夜を過ごして“全てが最高の1日でした”って。

2015.12.31→2016.1.1は、久しぶりにジャニカウに参加して、たくさんのジャニーズの仲間と共に年明けを迎えて。

夜会ではタッキーが来てくれて、当時のことたくさん思い返したと思う。思いを言葉にしてタッキーに伝えて。タッキーからも、ずっと知らなかった話を聞いて。

あの歌詞を読んだときに、こういうことを思い浮かべた。完全にわたしの深読みでしかないけど(笑)

 

思い出の日々に戻ればそこでは翔さんも“友”も踊っている。その中で刻み込んできた音を、今日もまた刻み続ける。

“今となってはもう過去”となってしまった、“あの頃”の時間に触れる機会があって、久しぶりにその時間を見つめたことでそれが輝き出す。しばらくの間懐かしさに浸ったら、それをエネルギーにして翔さんはまた“今日”を歩き出すんだ~~~~~~~~~~~!!!(コピペ)

 

 

 

 

ふぅ。

好き。ほんと好き。大好き。

 

自己満の深読み押韻解説(もどき)、もしおつきあいくださった方がいたら本当にありがとうございます!あくまで個人の見解ですので悪しからず!疑問反論あったらコメントくださっても構わないです!!

AZS!!

*1:サイト参照してくださいイラスト見たほうがわかりやすいかと:日本語の音の作られ方

*2:発音するときの口の開き方を図式化したもの

*3:f:id:collars:20161106092208j:imagef:id:collars:20161106092211j:imagef:id:collars:20161106092215j:imageNHKのハワイドキュメンタリーより)

ブログタイトルを(また)変更しました

いや~変えるのはやっ!つってな!

 

あゆはぴ聴いててTo my homiesもやっぱり最高じゃん!!ってなってワンフレーズをブログタイトルに使いた~い!!ってなってちょっと考えた結果「愛を信じてる」にすることにしました!!

 

ついでに(といってはなんですが)ブログの説明のところもTo my homiesからちょこっともじって更新しました!!

痛みも悲しみも全てを受け入れて、それでもやっぱり「I am Happy!」って言えるような毎日を送れたらいいよね。

 

 

 

いやぁ潤くんソロの♪Baby blueの「君だけが君らしいから」って歌詞も本当に好きでぎりぎりまで迷ったんですけどね・・・「でもぉ~、わたしぃ~、翔くん担だしぃ~?」(※多分に脚色あり)っていう自意識(?)により、そしてわたしも「5人の愛を信じてる」から、こっちにしました。えへ。

 

ということで。相変わらずの不定期更新ではありますが。

しくよろおなしゃす。

分かれ道の先は一方通行

櫻井翔

夕方、空を見上げると煌めくひとつの星が夕焼けの空の中にいた。

濃い藍色に塗り替えられていく空のその中で、星はただひたすらに強く、うつくしく煌めいていた。

それがわたしには翔さんに見えた。

 

 

 

2016年10月22日。今日は櫻井翔ジャニーズ事務所に入所して21周年の記念の日。

21年という時間はわたしはまだ経験したことがなくて、でもわたしが21年という時間を経験する頃には翔さんはもっと多くの時間を経験して。道のずっと先を歩み続ける翔さんはわたしにとってとても大切で大好きな存在です。

 

そもそもわたしが嵐を好きになるきっかけをくれたのは他でもない翔さんでした。芸能人とかドラマとかバラエティとか、そういう類いのものに興味を持つことのなかったわたしが最初に“出逢った”のがあなたでした。

たまたま見ていた「THE QUIZ SHOW」。母が「この人があの人だよ」と言いました。身バレの恐れが大きいので具体的なことは割愛しますが、以前若かりし大学生翔くんのロケに家族が出たといいますか、ぼかすと説明が難しいのだけれど、まあご縁があったんです。

母「あの時の人だよ」

わたし「へえ~」

 

わたしが櫻井翔に関心を持ち始めたのは紛れもなくこの母のひとことでした。

たぶんこの言葉がなかったら、ドラマもなんとなく見たままで翔さんを追いかけるわたしは生まれなかったかもしれません。お母さんありがとう。あれ、これなんの記事だっけ。翔さんおめでとうありがとうの記事だね。話を戻そう。

 

 それをきっかけに少しずつ翔さんの出ている番組を見るようになり、DVDを買うようになり、CDを買うようになり・・・

だんだんと、じわじわと、いつの間にか嵐と翔さんがわたしのなかでとても大きな存在になっていきました。

 

 

 話は変わりますが

2012年3月までは毎月10日と20日、同年4月以降は毎月15日に欠かさず届けてくれるオトノハがわたしは大好きです。

わたしが持っている一番古いオトノハは2011年1月1日のVol.72です。最新のオトノハは2016年10月15日のVol.155。まもなく6年になります。まじか。6年か。すごいな。6年も翔さんのオトノハを読んでいることになるのか。まじか。小学1年だった子がもう6年生だよとか嵐おじさん言いそう

 

ご家族とのこと。ご友人と過ごした休日のこと。収録の中で印象的だったこと。嵐やメンバーのこと。コンサートやNewアルバム/シングル、楽曲についてのこと。何かのきっかけで“あの頃”を懐かしんだこと。オリンピックの取材を通して気付いたこと、思ったこと。先輩や後輩との話。「先日見た」という夢の話。なかなか自分が“櫻井翔”だと気付いてもらえない話。小さい男の子に「将来の夢は嵐」と言われた話。ちょっと失敗してしまった話。うれしかった話。震災のときのまっすぐな言葉といろんな人への思いやり。年末の「よいお年を!」と年始の「とっくにあけましておめでとうございます」。年末年始やドラマ・映画などで露出が多かったときの「皆さんもお疲れさまでした」。Vol.129の「行って良かったわ。夏。」。ときどき入れてくる嵐の歌詞。突然踏み出す韻。わたしたちに届けてくれるありがとうの言葉。

 

翔さんの思いを、自分のことが好きな人向け(たぶん)に、翔さんの言葉で届けてくれるオトノハが大好き。

 

 

 

 

いま記事書きながら書き留めていたオトノハの書写ノートを振り返っていて、ある内容を見つけました。

 

①2012年8月14日 Vol.105「西へ東へ」の最後。事務所に入って16年半も経っていた、というお話。

一人だけじゃ、ここまでやってなかっただろうな。

 

たった一人だけじゃ、楽しくもなかっただろうな。

 

16年半だって。

本当にお疲れさま。

 

さっ。

どこまで行けるかな。

引き続き走ってみますかね。

 

②2014年8月15日 Vol.129「18年後」。中学の同窓会に行ったときの話。

D「覚えてる?

恵比寿に履歴書出すのに俺、つきあったの。」 

 

 

覚えてるよ。あれが人生の分かれ道だったから。

 

ファミリークラブの景色まで鮮明に。

 

12歳から15歳。

 

私にとっての

“その前”と“その最中”を知る人たち。

(略)

このタイミングで再び会えて良かった。

 

翔さんが21周年を迎えた今日という日に、少し懐かしいこの翔さんの紡いだ言葉と乗せられた想いに触れることができて、なんだかグッときた。

人生の分かれ道で、いまの道を選び、今日に至るまで走り続けてくれてありがとう。いまだ"その最中"でいてくれてありがとう。

 

先日発売された日経エンタを読んだわたしのファースト感想がこちら

・翔さんがやりたいことができる場が芸能界であってほしいし、翔さんや智くん、あいばさん、にのちゃん、潤くんがやりたいことをできる手段が嵐であってほしいし、嵐がやりたいことをわたしは見たいし、嵐が見たいものがわたしの見たいもの。

 

・それも嵐に信頼を置いているから思えることなんだろうな

 

・嫌々アイドルされててもやだし、そりゃ一過性の気持ちに流されて辞められたらそれも嫌だけど、んー、なんていうか、“翔さんがやりたいことができると思える場所=わたしが翔さんにいてほしいと思う場所”っていうのを知ることができてとてもうれしかった

 

・だからこそ翔さんがやりたいことをできるように、嵐がやりたいことをできるようにわたしができる方法で支えたいし応援したいしずっと好き

 

翔さんがやりたいことをできる場所が芸能界であってほしいしその手段が「嵐」であってほしい。

ファンの人のため、が第一じゃなくていい。それは、嵐はファンを大切にしないなんてことないってこれまでを見てきて信じられるから。それよりも、自分が、自分たちがやりたいと思うことを、その場所と手段を最大限に生かしてやってほしい。やりたいことに一生懸命・前向きに取り組む彼らの姿はかっこいい。それを遂行するために必要なのがきっとファンの存在なのであり、だから翔さんは、そして嵐はわたしたちに「ありがとう」を言ってくれるのだとわたしは思う。

♪COOL&SOULの「カラカラカラ喉潤すのには あなた方が必要なのとにかく」もそういうことなんだと思う。だから「そりゃ時にまた待たせるだろう」なんて歌えちゃうんだろうしそんな嵐がかっこいい。

 

 

 

デビュー直前に結成された「嵐」。15周年でハワイに行ったときのNHKのドキュメンタリーでは、翔さんはこんなことを話していた。

 

櫻井「なんかこう・・・かみ合っていかないっていうかさ。・・・やれどもやれども、なんつーのかな、『嵐』っていうものが、こう、形、作られるのも時間かかるし、じゃ仕事っていうのでも、うまくいってるかっていうとそうでもない」

 

当時を見ていないから分からないけど、たぶん4人も同じようなことを多少なりとも思っていたんじゃないかなと思う。だからこそ毎日朝まで話し合ったんじゃないかな。今じゃ

櫻井「毎日その頃朝まで話してるからさぁ、本番中、ちょっと眠い時とかあったよね」

松本「ふふふ(笑)」

二宮「あったあった」

櫻井「嵐のこれからについて話しすぎて、今が眠いっていう」

二宮「そう(笑)今がね。今が大事なのに」

松本「今が大事なのに」

櫻井「あっははははは(笑)確かに」

 

なんて笑い話にできるくらいになったけど、うまくいかないと感じていた日々のなかでどうにかしようと5人(と、もしかしたら事務所の人とかスタッフさんとかいたこともあったかもしれない)で話し合いを重ねてきたからこそ、嵐が「嵐」になったんだと思う。嵐の「嵐」たる所以はきっと嵐にある。

 

そんな嵐が大好きだからこそ、大好きな翔さんが「嵐」であることがとてもうれしい。

 

 

風景魂の特典DVDでは

櫻井「(嵐は)形変えるろくろみたいなものだと思っていて、5人そのものは、粘土って言ったらいいのかな、素材として変わっていないけど、その形っていうのはその時々によって変わってきたから。でもやっぱそれでバランスがとれてるんだよね。だから、12年経ってできたこの形が嵐です、まる。ってするにはちょっと早いのかなとも思ってる」

なんて話もしていた。今は嵐結成17周年。このインタビューの時期から5年が経っているけれど、その時間の中でもまた「嵐」は形を変えながら活動してきた。「12年経ってできたこの形が嵐ですとはまだ言えない」って言っていた人だからたぶん17年経っていても「まだそう言うには早い」って言うに決まっている。だって彼には、彼らにはまだその先があるから。

 

 

“ほんのちょっとのことで、きっと零れ落ちてっちゃう”世界の中で活躍する嵐と櫻井翔を、“1日でも長くこの夢が覚めないように”とそっと願いつつ、これからも追いかけていきたい。

 

周りがどんなに流れても、変わっても、(本質的な意味で)嵐には変わらず「嵐」として、翔さんには変わらず「櫻井翔」として、高いところで強く煌めいていてほしいと願う。

 

 

 

 

 

 

 

・・・と、冒頭の星の件に繋げつつきれいに終わろうと思ったんですけどこの際だからもひとつ(どの際だよ)

って言ってるそばからきっと大丈夫だろうと思わせてくれる嵐だからほんと好きだよね!!!!!!Mステの話ですけどね!!!!!!!

 

 

 

松本「最近割とかっちり踊る曲が多かったんで、肩肘張らずにラフな感じでできるようにと思って今回やってますね」

 

確かに5人ともすごく楽しそうな感じだけど“No No No No”の特に翔さんとか間奏部分のあいばさん→大宮→翔潤のダンスとかめちゃくちゃ踊ってるし他のところだってキレッキレ!!!!かっこいい!!!!!肩肘張らずに手も抜かない!!!!!「個性は他で出るから」と振り付けの細部まで徹底してこだわる潤くんがいてなおかつ鏡でメンバーのことを注意して見ながらダンスの練習する嵐さんだから今回も心地のよい一体感・統一感でとても最&高(鏡の件はメンバーの共通認識だったか分からないけど♡)。嵐だわ・・・これが嵐だ・・・特に今回Sexy Zoneの前でもあったからね・・・あらしっょぃ・・・(粉ミカン🍊)

 

 

Don't you  get itの歌詞だって

 

櫻井「頃合い この愛 見せてやる」

「Fighting!ハングリー ダイナミック でっかいその夢 Hunting」

櫻井「君の“Don't let me down” 全力ってShut!」

「口に出さずに誓うのさ 熱い未来を(Don't you worry)」

 

ってさ。翔さんに「君の“Don't let me down” 全力ってShut!」って言われるの滾る。

櫻井「君が『がっかりさせないでね』っていうのを俺らは全力で封じ込めるぜ」

みたいなことでしょ?つまり君をがっかりなんてさせないよってことでしょ?滾る。あらしつよい。

あと感謝カンゲキ雨嵐のときもそうだけど嵐って「言わないけど」って言いながら言ってしまいがちだよね。言わないけど初めての深い愛おしさは嵐だし、口に出さないけど熱い未来誓ってる。いやまぁ歌だからだけど。熱い未来を誓われた嵐担しあわせすぎる。そういえば去年受験期にJaponism収録曲である♪Bolero!をずっと聴いていたのだけど、あのときも「嵐に『いつも俺ら付いてんぞ!』って言ってもらえる嵐担やばいしあわせすぎる」「嵐にYou can go wherever you wanna go!っていわれたら頑張るしか」「おまえが輝くまでこの歌は鳴り響くとか輝くしかない」とか言ってた。嵐担毎年しあわせすぎる。

 

自分で何話してるのか分からなくなってきました。とにかく18年目に突入する嵐がいまだにハングリーででっかいその夢Huntingしようとしているのでちゃんとその夢Huntingできるように応援したいです。ほんと好き。

 

 

 翔さんの記念日なのに嵐の話ばっかりになってしまった!!

というかほんとは今日帰り道に翔さんのソロ曲聴きながら考えてたこととかあるんだけどそれ書くとまた時間かかるし日付変わっちゃうし明日も早いから断念!!!!

 

 

 

改めて翔さん入所21周年おめでとうありがとう。今までもこれからも大好きだーーーーーーー!!!!!

Distance

最近いろいろ考えてたんですけど

 

ちょっと、NEWSのファンを1回お茶の間レベルまで下げようかなって思います。

 

 

好きになったときほどの熱量がいまないんだよな……

24全部見れてないし、チュベローズも2話以降買ったまま読めてないし、恋を知らない君へのDVDもまだ開封してない☆~(ゝ。∂)←

 

たぶん理由としては、嵐で充分満たされてることと、Sexy Zoneも好きになっちゃった(笑)ことがあるのかな。

あとこれ別に誰が悪いとか正しいとかじゃないんだけど。NEWS好きになってからオタ垢よく使うようになって、自分でいろんな方フォローさせてもらって。NEWS担の方たちってとてもおもしろいしクリエイティブだし、すごいな〜って思っていたんだけど、わたしが勝手に「わたしも同じようにしなきゃ」って思ってしまって、いままでそんなに買ってなかった雑誌とかも出るたびに買わなきゃって思ったり、CDの売り上げ枚数がなんとかって話を目にするようになったり……好きになったときは"好きだから""知りたいから"だった動機が、"義務感"になってるなって思って。

そして、「知らない事だらけの  君の日々にまた置いてかれる」。

 

だから、こんなまま「NEWSファンです」って堂々と言えないから、わたしがしっくりこないから、"1回お茶の間ファンまで下がる"ことにした。それを言葉にすることにした。

 

 

とはいっても嫌いになったわけじゃない。

いまだってイッテQ見て「てごにゃんかわいいな~」って言ってるし、今日聡ちゃんがヤバかっこよくて買ってきたduetのシゲアキさん見て「やっぱ顔かっけえ……」ってなったし、早くQUARTETTOのDVD見たいな〜って思ってる。

これからだって出演番組は見るし時間忘れなければラジオも聴くと思う。

 

ただ、いままでよりも気楽に応援したい。

 

 

それだけでした。

わざわざ書くほどでもないかもしれないけど、書くことでわたしのなかで落とし込めるというか。だからこれは、いつにも増してわたしのわたしによるわたしのためのブログでした。

ごめんね!

 

 

Dear NEWS

明日もきっと続いてく  小さな日々に

ささやかでいい  幸せが降るように…